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ポンド危機で破産者続出!過去の為替大変動からの教訓

最近の英ポンドの話題で記憶に残っているのは、英国国民投票翌日の急落でしょう。戦前の予想を覆して、EU離脱派が勝利したことで英ポンド/円は1日で25円も変動するほど為替相場は混乱に陥りました。

しかし、かつて英ポンドはこれ以上の衝撃に見舞われたことがあります。それが1992年の「ポンド危機」です。当時ERM(欧州為替相場メカニズム)に加入していたイギリスはポンドの過大評価に目を付けられ、ヘッジファンドの売り浴びせに屈して変動相場制へ移行させられることになりました。

アジア通貨危機と同様の構図となったこの一連の経済危機は、今後のイギリスEU離脱の流れにおける為替変動にも通じるところがあるかもしれません。

この記事では、ポンド危機が引き起こされたした原因と、それによって為替相場がどれほどの影響を受けたのか、その規模などについてご紹介していきます。ポンドが歩んできた歴史とそれにまつわる為替変動を今後のトレードに活用していきたい人は、ぜひ参考にしてみてください。

ポンド危機の背景と英ポンドの結末

ポンド危機は、かつての基軸通貨英ポンドが1992年9月16日に急落し、それに伴って翌日に英国がERM(欧州為替相場メカニズム)を脱退するまでの一連の事象のことを指しています。別名「ブラック・ウェンズデー」とも「ホワイト・ウェンズデー」とも呼ばれています。

ポンド危機の背景

スターリングポンドは第二次世界大戦後その地位を失い、さらにイギリス経済は長期に渡る経済低迷を続け、その様は「英国病」とまで揶揄される不名誉な状態が続いていました。状況が改善される兆しが見えたのは、1979年5月に「鉄の女」マーガレット・サッチャーが首相に就任してからでした。

サッチャーはインフレ抑制や財政支出の削減など、様々な政策によって英国病の症状を克服することに成功。しかし、失業者数は依然増加傾向にあり、不況自体は改善されない状態が続きます。

そんな中、側近に押し切られる形で1990年ERMに加入することをサッチャーは決定しました。しかし、参加後に失業者数はさらに増加し景気は大きく後退。企業の倒産数は戦後最悪の数字を記録することになったのです。

このような最悪の状況が続きながらも、イギリス政府は政策金利10%台と言う高利率を維持し続けていました。ここに目を付けたのがヘッジファンドでした。不況にあえぐイギリスのポンドが本来の価値以上に高評価を得ていると判断されたのです。これは冒頭でも少し触れたように、アジア通貨危機のときと同じ構図です。

アジア通貨危機については下記記事で詳しくご紹介していますので、合わせて参考にしてみてください。

関連記事アジア通貨危機で為替が大変動!再来した場合の対処方法とは?

ヘッジファンドによる英ポンド売り浴びせ

ERMに参加しているイギリスは、不景気であっても対独マルクのレンジを一定の範囲に収める必要があり、そのためには現在の政策金利と為替レートを維持する必要がありました。このイギリスの経済状況とミスマッチとなっていた英ポンドの矛盾を見逃さなかったのが、クォンタム・ファンドを率いる「ジョージ・ソロス」でした。

ソロスは英ポンドを一斉に売り浴びせていけば、現在のイギリス情勢ではレートを持ちこたえさせることはできないと踏んでイングランド銀行に戦いを仕掛けました。イギリス当局は、金利も為替レートも絶対に引き下げないと強気の姿勢で臨んできます。

しかし、1992年9月に入って英ポンドの売り攻勢が激しさを増し、9月15日英ポンド/独マルクはERM下限値のギリギリの水準まで達し英ポンドは風前の灯火のところまで来ました。

翌9月16日イギリス当局はなおも抵抗を続け、金利を10.0%から12.0%に引き上げます。さらに150億ポンド(当時のレートでおよそ3兆3900億円)を市場に投下し英ポンドの買い支えを試み、加えてこの日2度目の金利引上げを実行し、利率を15.0%としました。

それでも英ポンドの下落が止まることはなく、ついに下限ラインを割り込み変動相場制へ移行することとなりました。英国当局による必死の自国通貨防衛も失敗に終わり、この日は「ブラック・ウェンズデー」としてイギリスで語り継がれていくこととなったのです。

ポンド危機がもたらした為替相場へのインパクト

ポンド危機はどれほどのインパクトを為替相場にもたらしたのでしょうか。ヘッジファンドによる強烈な売り浴びせにイングランド銀行が敗北し、ERMの脱退と変動相場制への移行まで追い込まれたことで、英ポンドは大きく下落することとなりました。

英ポンド/独マルクは2週間ほどで14%の下落となり、英ポンド/米ドルも3か月ほどで20%の下落を記録しています。英ポンド/円でも1年間で26%ほどの下落となり、当時史上初めて1英ポンドが200円を割り込む事態となりました。

英ポンドはこの一連の経済危機によって大きく信用を失い、その後1993年には欧州各国にも通貨危機が飛び火することとなります。ERMでは、仏フランの救済や変動幅の拡大など大規模な運用見直しを迫られることとなりました。

ホワイト・ウェンズデー

英ポンドの暴落を招いた1992年9月16日は「ブラック・ウェンズデー」として、イギリスの屈辱的な日と考えられていました。しかし、皮肉にもこの時期を境にイギリス経済は他の西欧諸国に先んじて景気回復を成し遂げていきます。

英ポンドの下落はイギリスの価格競争力を高めたため輸出拡大につながり、為替レートを独マルクに合わせる必要がなくなったことから金利は下がり借り入れコストの削減を実現しました。さらに失業率の改善、経済成長率も1993年以降は少なくとも2%台を継続して維持できるようになったのです。

ERM離脱が英国経済の改善に大きく寄与したとみる経済学者は多く、ゆえにこの日は「ホワイト・ウェンズデー」とも呼ばれるようになりました。

ポンド危機の教訓

ポンド危機はアジア通貨危機と同様、経済と為替レートの乖離を狙われて発生したものです。このような異常とも言えるレートは、ファンドの餌食になることが多く大量の資金が市場に投入されます。

ここから言えることは、日ごろから加熱気味の市場や実態とかけ離れた為替レートを見極めるために、経済情勢には常に目を光らせておく必要があるでしょう。今後特に大きな影響があるとすれば、人民元の変動相場制移行です。中国は高度経済成長期が終焉し、上海株絡みの通貨危機や人民元の大幅切り下げなど、不安定な情勢が近年続いています。

現在の中国の好景気を牽引しているのが主に不動産価格の上昇であり、2017年はこの不動産バブルがはじける懸念が持たれています。これが現実のものとなると、中国経済はハッキリ減退することになるでしょう。

さらに、軍事面や政治面でも中国は他国と軋轢を生みやすく火種は世界中に抱えています。これらが爆発することになれば、一気に世界的リスクオフの流れに向かうことでしょう。人民元を中国当局がどこまでコントロールできるかも不透明な情勢になるかもしれません。

中国絡みの不安定要素は多くありますので、それらの情報と合わせて為替レートを見ていくと矛盾するレンジがどこかで出てくる可能性もあります。そうなったときに、適切なトレードができるように日ごろから準備しておくことが重要です。

まとめ

ここまで、ポンド危機が引き起こされたした原因と、それによって為替相場がどれほどの影響を受けたのか、その規模などについてご紹介してきました。

イギリスのような大国であっても、自国為替を守り切れない事態が発生してしまうことに驚かれた人もいるかもしれませんね。また、ヘッジファンドが国家の中央銀行に戦いを挑んで勝ってしまうことに衝撃を受けた人も少なからずおられることでしょう。

ERMなどの為替を意図的に操作する仕組みはひとたび経済との歪みが見つかると、そこを狙われることが往々にしてあることは覚えておいた方が良いでしょう。

そのような矛盾をヘッジファンドなどの機関投資家は攻め立て、それに他の機関投資家が追随すると大きな流れとなって市場を席巻し国家の中央銀行をねじ伏せることもあるからです。

このような事象は固定相場制や政府の管理下で操作されている通貨に起こりやすく、大きな波を事前に察知できれば利益を得ていくこともできるでしょう。

そのためには、その国の経済レベルと世界経済との関連性を学習し、その正常時の為替レートと根拠をしっかり頭に叩き込んでおく必要があります。

その上で、経済情勢と為替レートに乖離があることを見つけることができれば、いずれ来る大きな変動に対してもトレードで戦っていくことができるでしょう。

為替の大変動でも利益を得たい人は、事前の情報収集が最も大事であることを肝に銘じておいてください。

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